動物系統分類学研究室

1.構成

小林幸正、渡辺信敬、清水晃、神保宇嗣(D3)、河野正剛(D3)、宇津木望(D2)、大無田龍一(M1)、上遠野淳一(卒研)、鈴木浩文(研究生)

2.研究紹介

  本研究室は昆虫類を主な研究対象としている.昆虫類は動物の中で最も種類数が多く,きわめて多様性に富んでいるため,その系統的背景もさまざまである.そのため研究にもいろいろな切り口があるが,本研究室では,伝統的な記載的分類学の他に,微細構造や発生の様式などを含む比較形態学,習性の比較を行う比較行動学,地理的な関係を考察する生物地理学,分子から系統を見る分子系統学などの手法を用いて,昆虫の系統分類および形態や習性などの進化に関する研究を行っている.ここ数年は,コバネガ,ハマキガなどの鱗翅類,ホタル,ガムシ,オトシブミなどの甲虫類,ベッコウバチ,ヒメバチなどの膜翅類が主な研究対象となっている.また,標本類(約10万点)の保管・管理や新たな標本の収集も行っているが,現在は甲虫目オサムシ類,高等膜翅類(ハチ類)の標本整理が継続的に行われている.さらに不定期刊行物Tokyo Metropolitan University Bulletin of Natural Historyを独自に出版し,研究成果の一部を掲載している(本年度は発行せず).

 1) 鱗翅目昆虫の系統分類学的研究

 昨年に続き日本および世界のコバネガ類の分子系統学的ならびに進化史的研究を行った.このガ類は鱗翅類で最も原始的なグループと見なされているため,その系統関係を調べることは鱗翅類の起源や初期の進化を推定する上で貴重なデータとなる.これまでに日本を含む東アジア,ヨーロッパ,カナダなどの北半球の種群のサンプルと,オーストラリア,ニュージーランド,チリなどの南半球のサンプルを入手しているが,今年度は新たにニューカレドニアのサンプルを加えることにより,世界のコバネガ属のほぼ8割(7属約45種)をカバーする規模で種間および属間の分子系統解析を進めている.現在までに,ミトコンドリアの16SrRNAやND5遺伝子の塩基配列から,@東アジアとカナダに分布する4属が単系統群を形成し,これとヨーロッパを中心に分布するMicropterix属が姉妹群となること(すなわち,北半球の5属が単系統群となる),Aオセアニア地域の広義のSabatinca属は,オーストラリアに固有の種群(新属に相当),ニュージーランドとニューカレドニアで種分化した狭義のSabatinca-group,およびチリのHypomartyria属と姉妹群となるS. porphyrodesの3つのクレードに分けられること,などが推定された.@でMicropterix属を含む北半球のすべての属が1つのクレードを形成する点は,形態情報からは予測されなかった結果である.また,Aで認められた3つのクレードの分化には,中生代から新生代にかけてのオセアニア地域の地史が深く関わっていることが示唆された.(小林,鈴木,橋本(名古屋市),三枝(九大),Gibbs(Victoria大学),Lees(London自然史博物館)).なお,コバネガ類に関連して,マダガスカルの原始的な鱗翅類の系統に関する研究をイギリスの研究者と共同で開始した(小林,鈴木,Lees).
 ハマキガ類の研究では,昨年に引き続き,日本におけるハマキガ科カクモンハマキガ族の分類学的な再検討を行っている.このグループのAphelia属は日本から3種が知られていたが,北海道東部よりさらに新種の可能性の高い2種を含む3種を見出した.アカスジキイロハマキClepsis pallidanaはヨーロッパからアジアまで広く分布する種だが,釧路および根室の湿原地帯には固有の斑紋変異型が存在することを示した.さらに,これまで日本からほとんど知られていなかったカクモンハマキガ族3種を再記載し,日本からの採集記録を示した.このほか,ハマキガ族のSpatalistis属の1未記録種をやはり北海道東部から見出した(神保).
 この他にガ類のフォーナに関する研究では,これまでの皇居・国立科学博物館附属自然教育園の生物調査にひきつづき,皇居における生物相長期モニタリング調査および赤坂御用地の生物調査に参加している.また,1994〜1997年に行われた多摩川中流域の里山における昆虫相調査の資料編IIが出版され,蛾類については計約1,200種を記録した(神保).

 2) 甲虫類の系統分類学的研究

 ホタル類では,朝鮮半島から記載されたウンモンボタルとパパリボタル,および対馬に生息するツシマヒメボタルの系統について分子マーカーなどによる解析を行った.ウンモンボタルとパパリボタルは前胸背板の斑紋パターンによって区別されているが,韓国において両種は同所的に生息している.一方,ツシマヒメボタルの前胸胸板の斑紋パターンはウンモンボタルに酷似しており,これら3種を雄交尾器の形態によって区別することはできない.そこで,これらの分類学的な扱いを考える一つの手段として,ルシフェラーゼおよびシトクロームオキシターゼIのアミノ酸配列を比較した.その結果,これら3種間での違いはほとんど認められず,パパリボタルとツシマヒメボタルはウンモンボタルのシノニムとして扱える可能性を示した(鈴木).
 この他にホタル類では,これまでにゲンジボタル,ヘイケボタルなどで胚発生がわかっていたが,本研究室ではイリオモテボタル,アキマドボタルなどの希少なホタルの発生様式の解明にも取り組んでいる.イリオモテボタルでは,胚の第1腹節に形成される側脚という附属肢様突起の形態変化を詳細に追跡し,ここからの分泌物が卵を覆う漿膜クチクラを崩壊させる孵化酵素としての働きを持つ可能性が高いことを,完全変態昆虫で初めて報告した.アキマドボタルは対馬のみに分布し,ホタル類では卵で越冬する唯一の種であることから,卵の発生のどの段階で休眠するのか,興味が持たれる.本年は昨年度に引き続き各発生ステージの卵を得ることに成功した(小林,鈴木,大場(横須賀市自然・人文博物館)).
 オトシブミ科甲虫に属する昆虫では,巻いた葉の中心に卵を産みつけ,幼虫はその中で葉を食べながら生長していくので,あたかも揺籃を形成するように見える.この独特の行動の進化を解明するために,オトシブミ亜科とチョッキリ亜科の揺籃の形態,卵数,羽化率などを比較し,あわせて形態形質を検討して,これらの甲虫の系統を検討している.本年度はオトシブミ亜科の2近縁種ヒメクロオトシブミ,セアカヒメオトシブミについてアロザイムを用いた系統解析を行った結果,これまでセアカヒメオトシブミと分類されていたものの中にヒメクロオトシブミの色彩変異型(セアカ型ヒメクロオトシブミ)が混入していたことをつきとめた.このことから,同じ体色でもヤナギ類を寄主植物とするものだけがセアカヒメオトシブミであることがわかった.また,未確認であるが,これまで分布北限とされていた東北地方南部以北にもヒメクロオトシブミが分布する可能性が大きいことが示唆された(河野).
 ガムシ上科甲虫では,特に触角および雄性外部生殖器官の微細構造の比較を走査型電顕を用いて行い,詳しく記録した.その結果,或る分類群の雄性外部生殖器官は極めて複雑な構造を持つことが判明し,各細部がどの様な機能を担っているのか,興味が持たれる(渡辺).

 3) 膜翅目昆虫(ハチ類)の系統分類学的研究

 昨年に引き続き,ベッコウバチ科の分類学的研究を行なった.ヒゲベッコウ属 DipogonDeuteragenia 亜属の日本産種を記載し,検索表を作成した.一方,キマダラズアカベッコウ Machaerothrix tsushimensisの行動学的研究も行なった.本種のユニークな行動として,羽化後の複数メスによる巣における一時的共存があげられる.この共存期に複数メスの間でアシナガバチ類と同様の順位行動が見られ,優位個体は通常の営巣活動を,また劣位個体は休息をおもに示すことがわかった.本種の,同世代メス間に見られる社会行動は,原始的社会性の進化の観点から非常に興味深い(清水).
 ヒメバチ科はさまざまな昆虫類やクモ類に寄生し,最終的に寄主を食い尽くしてしまう捕食寄生という生活様式をもつ1群であるが,昆虫類の中でもっとも大きなグループの一つとして知られる.本年度は主にこの科のTersilochinae亜科(ハナアメバチ亜科;仮称)の成虫の口器の微細構造を電子顕微鏡を用いて詳しく調べ,また野外において生態および行動の観察を行った.その結果,口器形態のうち,特に中舌の形態は,その他のヒメバチが長方形のうろこ状であるのに対し,ハナアメバチでは細長く途中で枝状に分枝するものであった.摂食様式の観察では,ハナアメバチが筒状の口器をストローのように用いて,液状の餌を吸い上げている様子が見られた.また,実際に野外でもハナアメバチが訪花している様子が観察された.以上の結果から,ハナアメバチの口器は,花の蜜を吸い上げに適応的なものであると考えられた.なお,日本のハナアメバチ相の基礎的データを得るため,丹沢山塊や北海道などから多くのサンプルを採集した(大無田).

 4) その他の昆虫類

 双翅目のアブ類(アブ科)の口器について比較形態学的研究を行った.アブ類の成虫メスは産卵に必要な蛋白源を摂取するために人畜を刺傷・吸血する.その結果,ヒトがアブに刺された時のアレルギー反応や畜牛のストレスによる搾乳量低下などが問題となっている.アブ刺傷の治療やアブ駆除に役立てるためにアブ類の性質を知る必要があるが,生態学的には,吸血宿主や吸血部位の嗜好性を決める要因が未だ不明などの問題点がある.そこで,アブ類の形態学的特徴を解析して,生態学的特徴との関連づけを試みた.吸血性アブの成虫メスは口器の大きさによる硬度の違いからウシやウマなどの吸血宿主やその背部,腹部などの吸血部位が大体決まり,ニッチェが異なるようである.しかし,異種間で吸血宿主や吸血部位の違いに伴う明らかな口器形態の差異は認められず,宿主の嗜好性は口器形態に依存しないことが考えられた(上遠野).
 同じ双翅目昆虫では,ムシヒキアブ科昆虫を材料に,昨年にひきつづき日本産8亜科に焦点をしぼり,分岐学的研究を行った(宇津木).

3. 研究発表

誌上発表

  1. Choi, Y. S., Suzuki, H. and Jin, B. R. (2003) Genomic structure of the luciferase gene and phylogenetic analysis in the Hotaria-group fireflies. Comparative Biochemistry and Physiology, Part B, 134, 199-214.

  2. Hayashi, F. and Suzuki, H. (2003) Fireflies with or without prespermatophores: Evolutionary origins and life-history consequences. Entomological Science, 6, 3-10.

  3. 神保宇嗣 (2003) 日本からあまり知られていないカクモンハマキ3種. 蛾類通信, (222), 417-422.

  4. 神保宇嗣・中谷正彦 (2003) 北海道東部におけるアカスジキイロハマキの斑紋変異. 蛾類通信, (222), 427-429.

  5. Kobayashi, Y., Suzuki, H. and Ohba, N. (2003) Development of the pleuropodia in the embryo of the glowworm Rhagophthalmus ohbai (Rhagophthalmidae, Coleoptera, Insecta), with comments on their probable function. Proceedings of Arthropodan Embryological Society of Japan, 38, (in press).

  6. Shimizu, A. and Ishikawa, R. (2002) Taxonomic studies on the Pompilidae occurring in Japan north of the Ryukyus: Genus Dipogon, subgenus Deuteragenia (Hymenoptera) (Part 2). Entomological Science, 5: 361-373.

  7. Suzuki, H. (2002) Genetic diversity, geographic differentiation and artificial disturbance of the Japanese firefly, Luciola cruciata (Coleoptera, Lampyridae). Research Report from the National Institute for Environmental Studies, Japan, 171, 243-247.

口頭発表

  1. 神保宇嗣 (2002) 日本産Aphelia属(ハマキガ科・ハマキガ亜科)の分類学的研究.日本昆虫学会第62回大会(富山).

  2. 神保宇嗣 (2002) カトカラの系統.日本蛾類学会2002年度例会(東京).

  3. 神保宇嗣 (2003) 注目種続々:北海道東部のハマキガ.日本蛾類学会2003年度総会・研究発表会(東京).

  4. 小林幸正・鈴木浩文・橋本里志・G.W.Gibbs・D.C.Lees・三枝豊平・杉本美華 (2002) ミトコンドリアDNA塩基配列によるヨーロッパおよび環太平洋地域のコバネガ科の系統解析. 日本昆虫学会第62回大会(富山).

  5. 河野正剛 (2002) ヒメクロオトシブミ色彩型とセアカヒメオトシブミの分類学的考察. 日本昆虫学会第62回大会(富山).

  6. 大無田龍一 (2002) ヒメバチ科Tersilochinae亜科の口器の比較形態. 日本昆虫学会第62回大会(富山)

  7. 清水晃 (2002) キマダラズアカベッコウの営巣および社会行動. 日本昆虫学会第62回大会(富山)

  8. 鈴木浩文・佐藤安志・大場信義(2002)南西諸島におけるスジボタル属の地理的分布と遺伝的分化.日本昆虫学会第62回大会(富山)

  9. 鈴木浩文(2003)ホタルの分子系統と発光トビムシの紹介.海洋発光生物研究の現状と展望(東京大学海洋研究所共同利用研究集会)

その他の出版物

  1. 神保宇嗣 (2003) 蛾類.里山昆虫研究会編,多摩川中流域の丘陵地における里山昆虫の研究,資料編 II, pp. 11-74.里山昆虫研究会,東京